池波正太郎とフィルム・ノワール
池波正太郎が愛したフィルム・ノワールの世界

「3日も見ないと生理的飢餓感を覚えるほど」と語り、映画をこよなく愛した池波正太郎。彼は小説家として忙しい日々を送る中でも、 月に15本もの作品を鑑賞し続け、中でも「フィルム・ノワール」と呼ばれるフランス映画を好んでいました。 フランス語で「黒い映画」を意味するフィルム・ノワールは、1940年代から50年代にかけて製作された犯罪映画の総称です。モノクロ ームの中に光と影が交錯する映像スタイルが特徴で、憎しみや裏切りといった人の心の闇、人生の非情をテーマに描かれています。

池波正太郎は自身の作品の中で、人の普遍的な営みを描きながら、 日常からあふれる人々の機微を描きました。その中で繰り返し「人は いいことをしながら悪いことをして、悪いことをしながらまたいいこ とをする」と提示しています。「人の心の闇」それは彼の作品に秘め られた、大きなテーマです。彼の物語には、「善人と悪人」という単純 な描写はありません。人の心、社会、この世のすべての物事には必 ず二面性があり、表だけでも裏だけでも成り立たないこと。目に見 える表面的なものではなく、その背後にある影の部分̶̶。すなわ ち人の心の弱さや欲望といった闇に目を向け、矛盾を抱えながら生 きる人々の様を、深い洞察をもって精巧に描き続けました。

人間心理を深く描くフィルム・ノワールに強く影響された池波正太郎は、「盗賊」や「殺し屋」など、闇社会の中で生きる人物を題材にした作品を 数多く遺しています。火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵と盗賊たちの攻 防を描いた「鬼平犯科帳」、表向きは鍼医者、しかし裏稼業として金で殺 しを請け負う男の姿を描いた「仕掛人・藤枝梅安」。そして本作、「鬼平外 伝 老盗流転」の原作「殺」(ころし)をはじめとして、盗賊たちが暗躍する江戸の裏側を鋭く描 いた「江戸の暗黒街」。これらは特にフィルム・ノワールの世界観が色濃く投影されていると言われています。

池波正太郎は、こうした独自の人生観に、自らが愛したフィルム・ノワー ルを重ね合わせて、多くの名作を遺しました。江戸時代の市井の暮らし が、フィルム・ノワールになって現れたかのような斬新さ。読者の心を惹 きつけてやまない、登場人物の心の機微。さらには波乱に富む展開や予 測のつかない結末。珠玉の作品の数々は、池波正太郎にしか描けない時 代小説、まさに「江戸ノワール」であると言えるでしょう。そして、江戸と現 代と時代は違えど、誰しもが抱える普遍的なものを描き続けた彼の作品 の心は、今を生きる読者の心にも深く届く作品̶̶変わり続ける世の中 で、いつまでも人の心に残る、永劫の人間ドラマであり続けるのです。