ペリーのちょんまげ ペリーのちょんまげ

掲載2000年10月30日

仇討選手

(あだうちせんしゅ) 1981年

掲載2000年10月30日

 赤穂浪士の快挙に大騒ぎの元禄時代。すっかり仇討ちにとりつかれたお殿様を喜ばすため、植木屋の由松は無理やり侍にされ、親の仇討ちをすることになる。刀を持つのも初めての由松は、ずっこけながらもなんとか形だけは整え、仇を求めて西東。やっと仇とめぐり合って、本懐をとげようとするが、裏にはとんでもないカラクリが…。
愚かな殿様と家臣の右往左往。形式ばかりの武士の世界を、大いに笑わせながら見事に皮肉った長編。無声映画時代に大河内伝次郎が演じた伝説の役を、堺正章が大熱演。
 この作品、原作モノなのだが、そちらのほうでは、由松は武士社会の裏切りにあい悲劇的な結末をむかえることになっている。しかし、そこはマチャアキのキャラクターあっての作品だけに、果たして原作どおり悲劇とあいなりますか。そこは見てのお楽しみ。
 共演は、可憐な森下愛子をはじめ、山口果林、秋野太作ら。主演のマチャアキはこの役にほれ込み、平成11年、自らが座長をつとめた明治座の芝居「忠臣蔵症候群・仇討ちでござる」でふたたび演じたほど。ペリーも見に行ったのだが、舞台では幽霊となった父親役を植木等が演じて、芸達者同士で息の合ったところを見せていた。

掲載2000年10月28日

絵島生島

(えじまいくしま) 1971年

掲載2000年10月28日

 江戸城大奥史に残る一大スキャンダルとなった”絵島生島事件”。
七代将軍家綱の生母に仕える大年寄り絵島は、山村座の人気役者、生島新五郎を本気で愛してしまう。叶うはずのない恋は女の情念渦巻く大奥で悲劇へと突き進む。
絵島に有馬稲子、生島には本作で本格的テレビデビューを飾った現、片岡仁左衛門。生島の水も滴るいい男ぶりもお楽しみ。
この番組の制作当時、テレビ時代劇はちょっとした“大奥”ブームだった。まずは連続ドラマから思いつくままに挙げてみると、佐久間良子の「徳川の夫人たち」(67年)、藤純子、現建設大臣の扇千景らの「大奥」(69年)、「大奥の女たち」(71年)。単発長時間モノでは、「大奥開かずの間」、「大奥悪霊の館」、「大奥殺人事件」、「大奥犯科帖」、「大奥妖怪の墓」など次から次へと出てくる。
どの作品も、千人もの女の欲望と嫉妬がどろどろと渦巻いてってカンジなのだ。純愛をテーマにした「絵島生島」は大奥モノではむしろ珍しい作品といえるかも。

掲載2000年10月10日

江戸の牙

(えどのきば) 1979年

掲載2000年10月10日

 江戸の治安を守るための秘密組織”江戸の牙”。与力で二刀流の精四郎(天知茂)をリーダーに、太刀で一刀両断の伝十郎(若林豪)、火薬に強くバズーカ砲までぶっ放す兵助(藤村俊二)、槍の半兵衛(坂上二郎)。鉄壁四人組を束ねるのは、ご存じ三船敏郎。
“閻魔様のおつけぇよ!”
と悪に名乗る渋い四人組の豪快な殺陣でスカッとした気分になれる。
この作品、三船プロ系作品らしく、史実がどうのと細かいことは言わず、見る側にビシバシ攻め込んでくるカンジがイイ。クライマックスで悪の巣窟に乗り込む四人組が、ババッと上着を脱げば、全員白地に「南無妙法蓮華経」の染め抜き文字。ペリー的には、もう、“死して屍拾うもの無し”(繰り返し)
という、「大江戸捜査網」の決り文句を思い出してしまう。なぜって、ナレーターが両作品とも同じ黒沢良なので、どうしても連想してしまうのよ。新人同心役で、京本政樹、三船の娘役で竹下景子なども出演。天知茂が自ら作詞した主題歌も耳に残る。

ペリー荻野プロフィール
ペリー荻野

1962年愛知県生まれ。大学在学中よりラジオのパーソナリティ兼原稿書きを始める。 「週刊ポスト」「月刊サーカス」「中日新聞」「時事通信」などでテレビコラム、「ナンクロ」「時代劇マガジン」では時代劇コラムを連載中。さらに史上初の時代劇主題歌CD「ちょんまげ天国」シリーズ全三作(ソニーミュージックダイレクト)をプロデュース。時代劇ブームの仕掛け人となる。

映像のほか、舞台の時代劇も毎月チェック。時代劇を愛する女子で結成した「チョンマゲ愛好女子部」の活動を展開しつつ、劇評・書評もてがける。中身は"ペリーテイスト"を効かせた、笑える内容。ほかに、著書「チョンマゲ天国」(ベネッセ)、「コモチのキモチ」(ベネッセ)、「みんなのテレビ時代劇」(共著・アスペクト)。「ペリーが来りてほら貝を吹く」(朝日ソノラマ)。ちょんまげ八百八町」(玄光社MOOK)「ナゴヤ帝国の逆襲」(洋泉社)「チョンマゲ江戸むらさ記」(辰己出版)当チャンネルのインタビュアーとしても活躍中。