ペリーのちょんまげ ペリーのちょんまげ

掲載2001年06月02日

銭形平次

(ぜにがたへいじ) 1966年

掲載2001年06月02日

 時代劇専門チャンネルが開局以来、3年間、ずっと放送を続けてきた『銭形平次』がいよいよフィナーレまであとわずか。
そこでここでは、主役の大川橋蔵という役者を改めて見直しておこうと思う。
1929年、東京に生まれ、4歳にして市川男女丸として歌舞伎座初舞台。尾上菊五郎夫人の養子となり、二世大川橋蔵を襲名。(ということは、初代大川橋蔵も存在してたってわけですね。勉強不足でした)1955年に東映に入り、映画界へ進出。当初は美空ひばりの相手役が多かった。やがて『若さま侍捕物帖』シリーズが当たり、スターの座を射止める。世の中がテレビ全盛へと移るなか、口説かれて『銭形平次』に主演。一代の当たり役となる…。
テレビに移って活躍した映画スターは、ふつう、若い頃にはアクションや立ち回りの多い役、年を経て、殿様や黒幕系の役になっていくのが常道だ。そのなかで、とにかく『銭形平次』に打ち込み続けた大川橋蔵は、異色の存在だった。仕事以外でも、好きなものには徹底的に凝りまくり、気に入った食事を毎日とりつづけても平気だったという逸話も伝わっている。う〜ん、橋蔵親分らしい。
番組後期、レギュラーのひとりだった京本政樹は、橋蔵にメイクを教わったという。そういえば、あの目元は…。橋蔵親分の心意気を意外な人も継承しているってことだ。
フィナーレまでに蟹江敬三、三波豊和、火野正平とゲストも憎い人選。最後までお楽しみに。

掲載2001年05月19日

銭形平次

(ぜにがたへいじ) 

掲載2001年05月19日

 なんたって、大川橋蔵がたったひとりで888回もの連続ドラマの主役を務めた、世界的大記録を樹立したこの番組。その人気の秘密はどこにあるのか。ここで検証してみよう。
 まず挙げられるのが、原作の面白さ。作者、野村胡堂は、岡っ引きが銭を投げるアイディアを、原稿締め切りのギリギリに思いついたというエピソードが残っている。果たして、その小説は大人気。以後、383編もシリーズを執筆した。謎解きと、江戸の風情や庶民の生活がにじむ原作は、今も捕物帳のお手本のように愛されている。
 しかし、原作とドラマでは、登場人物のイメージが少し違う。たとえば、原作の平次親分は結構ビンボーで、たまに長屋の家賃も滞納していたらしい。まだまだ青臭さの残るキャラクターとして描れている。恋女房のお静も、原作では花街の出身。今風に言えば、『お水の花道』を歩いた経験を持つってところ。でしゃばりはしないが、うら若いわりに酸いも甘いも噛み分けた女性なのだ。そして、ガラッ八こと、八五郎も、原作ではアゴが長い長身の怪力男。なんとなくもっさりしたアントニオ猪木ってカンジなのだ。
 そこへいくとドラマの方は、シリアスな事件も明朗会計じゃなかった、明朗解決。親分には青臭さよりも貫禄が、お静には、花街の艶っぽさよりも、しっとりとした母性を感じさせる。八五郎は愛すべきお茶目さんで、ファミリードラマのようなやり取りも多い。また、レギュラー陣に女流漫才師、海原千里万里の千里(今の上沼恵美子ね)が入ったり、今いくよくるよがゲスト出演したり、お笑い系キャラの投入も目立つ。
 ペリーが思うに、全体に漂う明るさと安定感。これが超長寿のヒミツに違いないのだ。

掲載2001年05月12日

銭形平次

(ぜにがたへいじ) 1966年

掲載2001年05月12日

 毎週水曜夜8時といえば『銭形平次』で育った人も多いのではないだろうか。なんたって、放送開始以来18年間も休まず続いた長寿番組中の長寿番組だ。『水戸黄門』もすごいけど、ひとりの役者が主演し続けたことを考えると、そのすごさがわかろうというものだ。
 しかし、おおくの名番組がそうであるように、本作もスタート当時(66年)はなかなか苦労もあった。
 まず、主役。昭和30年代から40年代というのは、娯楽の主役が映画からテレビに移った転換期。はじめは、映画スターがテレビに出演するなんてことは考えられなかった。64年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』に、映画『銭形平次』で人気だった長谷川一夫が主演するなど、少しずつ映画スターのテレビ進出が目立ってきた時期ではあったが、大川橋蔵の出演を口説くのも、簡単ではなかったはず。テレビの連続ドラマ初出演の橋蔵は、年に3ヶ月の舞台公演を確約して、出演にこぎつけたと伝えられている。
 橋蔵にとっては、初の町人役。初代お静(恋女房ね)の八千草薫とのコンビ時代には、映画での橋蔵の当り役“若さま”の雰囲気が残る色っぽい平次だったが、年々貫禄がつき、三代目お静の香山美子との頃になると、いかにも“親分”という風情だった。
 ペリー的に印象深かったのは、平次の顔。キリッとした眉毛や濃い目のアイライン入りの睫毛。庶民のなかの典型的な二枚目だ。たまに『スター千一夜』(フジテレビ系で放送してたトーク番組ね。フジ開局の翌日から始まる。第一回のゲストは、長門裕之、津川雅彦兄弟。夜9時から15分間。“スタ千に出なければスターじゃない”とまで言われた。最多出場は吉永小百合の90回。ふっー)などに大川橋蔵が出演すると、その素顔は意外にもの静か、かつ穏やかで驚いた。
 映画の遺作も『銭形平次』になるなど、大川橋蔵はいまも永遠に“平次親分”なにだ。

ペリー荻野プロフィール
ペリー荻野

1962年愛知県生まれ。大学在学中よりラジオのパーソナリティ兼原稿書きを始める。 「週刊ポスト」「月刊サーカス」「中日新聞」「時事通信」などでテレビコラム、「ナンクロ」「時代劇マガジン」では時代劇コラムを連載中。さらに史上初の時代劇主題歌CD「ちょんまげ天国」シリーズ全三作(ソニーミュージックダイレクト)をプロデュース。時代劇ブームの仕掛け人となる。

映像のほか、舞台の時代劇も毎月チェック。時代劇を愛する女子で結成した「チョンマゲ愛好女子部」の活動を展開しつつ、劇評・書評もてがける。中身は"ペリーテイスト"を効かせた、笑える内容。ほかに、著書「チョンマゲ天国」(ベネッセ)、「コモチのキモチ」(ベネッセ)、「みんなのテレビ時代劇」(共著・アスペクト)。「ペリーが来りてほら貝を吹く」(朝日ソノラマ)。ちょんまげ八百八町」(玄光社MOOK)「ナゴヤ帝国の逆襲」(洋泉社)「チョンマゲ江戸むらさ記」(辰己出版)当チャンネルのインタビュアーとしても活躍中。