ペリーのちょんまげ ペリーのちょんまげ

掲載2000年10月06日

大殺陣

(だいさつじん) 1964年

掲載2000年10月06日

 四代将軍家綱の下で陰謀を企む大老酒井。そのご政道に怒った学者、山鹿素行一党は、大規模な暗殺を計画。山鹿側、大老側の死闘が始まる。血みどろで首まで水に浸かった文字どおりの大殺陣など、先頃世を去った工藤栄一監督のハードな作品。若き里見浩太郎、悲壮感あふれる大坂志郎、クールな平幹二朗らに明朗時代劇とは違う一面を発見できる。
さすが後に“必殺シリーズ”で評判をとる工藤監督の時代劇だけに、非情で鋭いストーリー展開。幸せの絶頂からいきなり絶望の淵に突き落とされる若侍役の里見浩太郎は、「松平長七郎」シリーズなどののほほんとしたお侍さんとは、まったく別人。また、子だくさんで一見のんきに見えた大坂志郎が死地に赴くにあたって見せる狂気も胸に迫る。敵の大友柳太朗の味は言うまでもナシ。わざわざモノクロ映像にこだわった工藤監督。カッコいぞ!とエールをおくりつつ、ご逝去にあたりご冥福をお祈りします。合掌。

掲載2000年08月08日

東海道四谷怪談

(とうかいどうよつやかいだん) 1959年

掲載2000年08月08日

怪談映画数々あれど、永く人に語り継がれた傑作が登場。鶴屋南北の原作の巧みさと、監督、中川信夫の恐怖を描く美的感覚の見事さ。そして何より主役の天知茂が怖すぎ!色と欲におぼれた人間のおどろおどろしい殺意と殺された者たちの怨念。全編にわたり毒、戸板返し、蛇、錯乱、花火に虫の声までひりひりする恐怖満点。涼しい一夜をどうぞ。
本作を監督した中川信夫といえば、ジャパニーズ・ホラー、最近はJホラーとか言われてるけど、その原点、いわば家元として今年再評価されているのだ。単館系の映画館などで作品がリバイバル上映され、ホラーファンからカルト映画ファンまでが詰め掛けて連日大盛況らしいぞ。この作品が作られたのは1959年、SFXなどない当時の技術でここまで表現した創造力に驚かされる。いらないシーンがまったくなく、簡潔そのものってとこもいい。もちろん、主役の天知茂に出会ったことも、この作品の運命を決定づけるに非常に大きな役割を果たしたことは言うまでもない。だって、すごいもん。鬼気迫るカンジって、ペリーもイキナリ素になってるけど、それくらいすごい。でも、本人は後年、
“オレはホンとは明るいんだ。みんなでオレをニヒルにしちまった”
とボヤいていたとか。キャラとご本人は必ずしも一致しないってことですね。

掲載2000年07月12日

伝七捕物帳

(でんしちとりものちょう) 1979年

掲載2000年07月12日

「ヨヨヨイヨヨヨイヨヨヨイヨイ、あ、めでていな」の二本指締めでおなじみ、黒門町の伝七親分の登場でい! 特別に十手の紫房を許された捕物名人。悪には得意の万力鎖の技で立ち向かう。主役は「遠山の金さん」でも大人気の中村梅之助。伝七は金さん配下だから、梅之助は両方のが代表作なのだ。テレビの前で指締めに参加すれば気分爽快。
「銭形平次」「半七」「人形佐七」と並ぶ捕物帳の傑作(原作は「遠山の金さん」の陣出達朗)ながら、映像化の例が少ないのは、梅之助を越えるのが大変だから? なお映画では高田浩吉の代表作。浩吉、梅之助の「丸顔路線」は、伝七の温和な人柄をよく表していた。梅之助さんはお話が面白い方として業界では有名。以前、梅之助さんにインタビューした際、件の「ヨヨヨイをやって…」という言葉がノドまで出たのに、結局は言えず終い。小心者だった。トホホ…。

ペリー荻野プロフィール
ペリー荻野

1962年愛知県生まれ。大学在学中よりラジオのパーソナリティ兼原稿書きを始める。 「週刊ポスト」「月刊サーカス」「中日新聞」「時事通信」などでテレビコラム、「ナンクロ」「時代劇マガジン」では時代劇コラムを連載中。さらに史上初の時代劇主題歌CD「ちょんまげ天国」シリーズ全三作(ソニーミュージックダイレクト)をプロデュース。時代劇ブームの仕掛け人となる。

映像のほか、舞台の時代劇も毎月チェック。時代劇を愛する女子で結成した「チョンマゲ愛好女子部」の活動を展開しつつ、劇評・書評もてがける。中身は"ペリーテイスト"を効かせた、笑える内容。ほかに、著書「チョンマゲ天国」(ベネッセ)、「コモチのキモチ」(ベネッセ)、「みんなのテレビ時代劇」(共著・アスペクト)。「ペリーが来りてほら貝を吹く」(朝日ソノラマ)。ちょんまげ八百八町」(玄光社MOOK)「ナゴヤ帝国の逆襲」(洋泉社)「チョンマゲ江戸むらさ記」(辰己出版)当チャンネルのインタビュアーとしても活躍中。